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Break-through 突破する力 山野井泰史

山野井は、初めてヒマラヤに足を踏み入れた91年のブロードピーク(8051メートル)遠征を引き合いに出す。
このときは、ほかの隊員7人と一緒だった。登山は成功し、自らも頂に立ったのに、不完全燃焼だった。
「ヒマラヤには失礼だけど、写真でみたほど、ばかでかい山ではなかった。8人いたから、山の大きさを8分の1に小さく感じたのだと思う。リスクも8分の1になるから」
ソロなら、リスクはすべて一人で背負う。そこが、こたえられない。
「もうダメかと思ったことは一度もない。進退窮まるときは、眼球が動いて周りのいろんな状況が見えてるんですよ。そして瞬時に判断している。そのとき、『ああ、これがオレなんだ』と思う。山とクライマー山野井泰史だけになった瞬間だと思う」

山と一体に溶けたい。その衝動をさらに研ぎ澄まして、周囲に人の気配がなく、仮に遭難しても救助など望むべくもない絶体絶命、孤立無援の世界にあえて我が身を置く。
それを「僻地(へき・ち)の発想」と山野井は表現する。
88年、荒涼とした北極圏、カナダ・バフィン島の標高差1300メートルのトール西壁を目標に定めた。
記録更新に挑む登山家はごまんといるが、「僻地の大岩壁をソロで登る」ことに異様な情熱を燃やす登山家は、世界でもそうそういない。
そんな山野井にして、大岩壁を前にすると恐怖を振り払えなかった。「眠ろうとしても、壁から落ちて自分がこっぱみじんになる映像が浮かぶ。オレはなんでこんな極限の行為が好きなんだろう、と悩みました」
それまでの4年間、米国やアルプスなどで単独登攀に相次いで成功したが、「守られた環境でのソロはもういい」。救助が期待できたり、天候の情報が手軽に入手できたりしては物足りない。それが、恐怖心を克服して自らをより厳しい目標に奮い立たせる原動力になった。トール西壁を単独で制したのは、世界初の快挙だった。

思えばチョーオユーのころからだろうか、他人の評価が気にならなくなった。「第三者の評価を意識して登れるレベルなら、選んだルートがたいしたことないということですから」
山野井は、一人で線を引く。
究極の理想は、ピラミッドよりとんがっている山で、垂直の壁に引く真っすぐなライン。雪の付き方や岩の形を見極めつつ、人間が登れる限界ぎりぎりの登攀ルートを描く。
「四畳半の部屋で資料を見ながら、『行こうかな、やめようかな、やっぱり行こう』ってやってるのが楽しい」
彼にとって突破すべき「壁」とは、自分で設定するものなのだ。

原点は、少年時代。
10歳のころ、欧州アルプスが舞台の映画をテレビで見て、「クライマーになる」と決めた。小学校を卒業する時の寄せ書きに「エベレスト無酸素登頂したい」と書いた。
周囲に山を教えてくれる人なんかいない。まず近所の石垣を登り始めた。「自分で図書館で山の資料を調べて、石垣にへばりついて学んだ」。高校時代、左右とも中指1本で懸垂ができるまでになった。その後、アルバイトで資金を稼いで単身、フリークライミングの聖地、米国のヨセミテ渓谷に旅立つ。それからは、ひたすら高みだけを目指してきた。

海外の先鋭クライマーと親交が深く、山岳雑誌「岩と雪」(95年休刊)の編集長だった池田常道は「日本の登山界に、やっとスターが現れた気がした」と振り返る。「日本の登山家は生い立ちや努力の過程などバックグラウンドを含めて語られることが多かった。しかし、山野井は純粋に記録だけで世界で勝負できる。周りに同レベルの登山家がいない中で、自分自身を高めていく意識がすごい」

02年、妻の妙子とヒマラヤの難峰ギャチュンカン(7952メートル)北壁に挑んだ。妙子も世界レベルの登山家だ。単独登頂して2人で下山中、嵐につかまる。雪崩の直撃、墜落……。凍傷で手足の指10本を失ったが、生還。「潜在能力を使い切った喜びがあった」
下山後、友人に「もう(山は)終わった」と告白したが、それもつかの間。リハビリと並行し、以前にも増して山の資料と首っ引きで、新たなルート探しに夢中になった。

両手に残った5本の指先だけでは、握力が落ち、雪や氷の壁は厳しい。だが、経験や技術がものをいう岩の壁なら、まだいける。中国では標高差850メートルの大岩壁をソロで登った。
「相撲で言えば、横綱は無理でも大関に復帰できるかなと思うこともある。絶頂期の記憶があるだけにつらいけれど、面白くなりそうだなという期待感もありますから」
今年で44歳になる男から、無邪気な笑顔がこぼれた。

自己評価シート

自己評価シート
 

岩と雪氷をまとったヒマラヤの巨大な壁やアルプスの大岩壁を、たった1人で挑む究極の登山スタイルがソロだ。山野井は迷うことなく「集中力」をトップに挙げる。壁や雪の状態、気象などあらゆることに目配りし、登っている最中は、一瞬たりとも気が抜けない。
山野井が狙うのは、未踏ルートで壁に真っすぐ引いた美しいライン。パズルを解くような緻密な頭脳がなければラインが引けない。だから、「分析力・洞察力」が2番目。
「体力」が上位にあがるのは、当然か。技術以上に体力がないと、決断ができない。指を切断する凍傷を負いながら、ギャチュンカンから生還できたのも、体力のおかげだという。
独創性・ひらめきが7番目というのは、山野井にしては意外な感じがするが、欧米の登山家との比較。「彼らと同じ写真を見てもルートを見つけられないことがある」
運が最後なのは、「山で起きることはすべて想定内だから」。唯一とも言える例外が、昨秋、自宅近くの登山道でクマに襲われて顔面と右腕に90針縫う大けがをしたこと。「わが人生において、これは想定外でした」

 

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