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Break-through  突破する力 藤本幸人 明確なゴール。逆算思考で、世界初を考え抜く

「クルマをつくれ」
上司の指示だった。きちんと市場で売れるものを目指せという思いが込められていた。
ホンダは80年代末から燃料電池車の基礎研究を始めていたが、10年を経て商品化への機運が高まった。
藤本はガソリンエンジンの開発に従事し、クルマのシステム全体をどう構成するかを考えてきた。燃料電池車開発への参加は「青天の霹靂(へき・れき)」。基礎研究中心のチームにはクルマをつくり上げた経験のある研究員が少なく、藤本の出番をつくった。

藤本が初めて見た燃料電池車は、ミニバン「オデッセイ」の車内を水素ボンベと燃料電池、その周辺装置が埋め尽くす代物。運転手以外にもう1人乗り込むのが精いっぱいだった。「これをクルマにするなんてできるのか」。逃げ出したくなるような気分だった。
会議で飛び交う技術用語も初めて聞くものが多かった。例えば燃料電池の英訳Fuel Cellの略称「FC」は、エンジン屋にとってはFuel Cut、燃料削減だ。最初は何を話しているのかさっぱり分からなかった。
だが、燃料電池のパイオニアだったカナダのバラード社で、水素を使って音もなく発電する四角い箱がモーターを動かしている様子をみて、「面白いなあ」と思った。感動したら、力がわく性分だ。燃料電池で「クルマ」をつくってみせる――。夢が見えた。

研究開発に限らず、何事もどんな目標を置くかで成否は決まる。「小さな燃料電池をつくろう」という目標を立てて研究しても、どこまで小さくするかが明確でないと道は定まらない。
藤本が命じられたのは「クルマをつくれ」だ。クルマに載せる大きさを考えれば、目標は明確になる。
藤本は、すべての開発目標を「クルマをつくる」から逆算した。ホンダには「三現主義」という原則がある。現場、現物、現実から考えるという姿勢だ。学術書を読み、勉強し、「さてどんなクルマをつくるか」を考えるのではない。あるべき姿を思い、そのゴールに向けて、目の前にある技術や知恵を使い尽くす努力をする。「夢」から逆算し、「現」を冷静に見つめ、変えてゆく――。そのほうがゴールにたどり着くのは早いと藤本は信じている。

量産化が前提になる以上、優れた1台の試作車をつくっても意味はない。
燃料電池本体は、セルという最小単位の電池を数百個直列につないでつくる。セルの隔壁「セパレーター」は、それまで炭素樹脂系の素材でつくっていたが、ホンダはステンレス製にした。炭素樹脂では1枚つくるのに20分ほどかかるが、自動車メーカーが得意なプレス技術を使えば、秒単位でできる。製法特許を取得し、他社が追随できない技術となった。

目標が量産化だったことが、新しい発想を生み出した。研究のための研究ではない。明確な最終ゴールが見えていたから、最短ルートも、突破すべき課題も見えてくる。
「世界一」「世界初」にもこだわった。しかも「自分たちで世界初と言っても仕方がない。公式な記録で残したかった」。米政府は、国内で売られているクルマの燃費をまとめた「Fuel Economy Guide」を毎年発行している。そこに載せたい。藤本はそれまでなかった燃料電池車の燃費単位を提案。03年版に初めてクラリティの2世代前のクルマの燃費が掲載された。

会議でも「9月中旬に完成します」という報告には我慢ならない。「9月何日? 午前? 午後?」と問いつめる。「世界初」を実現したいからだ。「期日があいまいなのは何をすべきか、どうすべきかがあいまいだから」。長年、研究を共にしてきた木村顕一郎主任研究員は「藤本さんからは雨あられのような指示が飛んでくる」と笑う。
藤本はチームに「和」はいらないと思う。「仲良しクラブをつくるのが目標ではない。すごいクルマをつくるのが目標です。すごいクルマができれば、みんなの苦労は報われます」

1月18日の日曜日。東京・青山のホンダ本社で「燃料電池自動車教室」が開かれた。2年前から、藤本ら研究員が手弁当で子どもたちに説明してきた。
水素ステーションの設置など、インフラ整備という難題もあるが、「この子たちが免許を取るころには普及させたい」。定年まで10年を切った。それまでに突破すべき課題が藤本には見えているのだろう。参加した子どもから「もっともっといいクルマをつくって下さい」と言われると、藤本は「分かってるよ。分かってるよ」というように笑いながらうなずいた。

 

自己評価シート

  

第一にあげたのが「強運」だ。「高校時代は劣等生だった」と笑う。いわゆる優等生ではなかったかもしれないが、丹波の山奥から大阪・天王寺の自転車店まで2時間もかけて部品を買いに行き通学用の自転車も手作りする、機械いじりが好きな少年だった。「他とは違ったことをするホンダに入りたかった」と就職時にホンダだけを受け、見事合格した。

その後も優秀な上司や同僚に助けられたという。「藤本に任せるなら優秀なやつをつけなくては、と心配したんでしょう」。98年に燃料電池車の開発を命じられなかったら、全く別の道を歩んでいたはずだ。サラリーマンは社内に転がっている運をうまくつかむかどうかも実力だろう。

3位は決められず、4項目が並んだ。仕事が好きで、世界初・世界一を目指したことが突破力になったと言える。
開発責任者の最も重要な仕事は開発目標、方向を「決めること」と明快だ。リーダーが何も決められないようでは下が迷うばかりだ。「決断力」が最短ルートを呼び寄せる。
「語学力」「協調性」は番外に落ちた。学生時代から英語は苦手で「難しい交渉は通訳を付ける」。ものづくりのプロには、英語や人付き合いの良さは必須科目ではない。

 


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