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話は発表の2カ月ほど前にさかのぼる。研究のために毎月のように訪れるサンフランシスコで、がく然とする情報が山中を待っていた。
「シンヤ、きみのライバルが、人間のiPS細胞づくりに関して有力誌に論文を投稿したみたいだよ」
苦い経験が頭をかすめた。マウスのiPS細胞で節目の研究成果を発表した際、それまで自分たちの背中を追いかけていたはずの米国のチームと同着になったことがある。人間のiPS細胞づくりでは、ついにライバルに先を越されてしまうのか――。
この時すでに、山中たちも人間のiPS細胞づくりに成功していた。もう少しデータを積み重ねて論文発表するつもりだったが、もはやそんな悠長なことは言っていられない。超特急で論文を仕上げ、すぐにライバルとは別の有力誌に売り込んだ。徹夜の連続で編集部からの質問に対応し、なんとかライバルと同時に発表できた。
同着だったとはいえ、マウスに続く山中の連勝だから、「iPS細胞を開発したのはシンヤだ」と世界中の研究者たちが認めている。
いま振り返ると、いち早くライバルの動向をつかむことができたのが突破口になった。
ノーベル賞級の成果をあげた研究者にとって、発表前のデータは国家機密や企業秘密にも等しいトップシークレットだ。ふつうは論文を投稿したことさえ外部には漏らさない。
山中は、どうやってライバルの動向をつかむことができたのか?
情報源を本人に尋ねると、「ある米国の友人が耳打ちしてくれたんですよ」と多くを語らない。
有力な科学誌の多くは米国を拠点としている。それでなくとも日本の研究者の情報量は、米国にいる研究者の100分の1、1000分の1のレベルだ。「有力誌の編集部の人たちとふだんからファーストネームで呼び合える関係を築いておかないと、情報戦には勝てません」と山中は言う。
山中によると、そういう人間関係づくりの基礎になっているのは「プレゼン力」なのだという。
控えめな人柄。熱弁をふるうタイプではない。だが、まだまだプレゼンがうまくないといわれる日本の科学者の中で、山中は自らのプレゼン力にはかなりの自信をもっている。
海外の学会や講演会で目立つプレゼンをすれば、演壇を降りてから聴衆が声をかけてくる。立ち話をきっかけに顔見知りになればしめたもの。その後はメールや電話で連絡し合えるような関係になれる。自分が相手の国を訪れたり、相手が来日したりした際、できるだけ会って話をする。
そうやって何年も前から丹念に築いてきた海外のネットワークが、ここぞという時に生きたのだ。
世界を驚かせた発表から1年あまり。切れ者のオーラが漂う山中だが、自らを「ピエロのようだ」と言いつつ全国を飛び回ってきた。
一般向けの講演では専門用語を使わない。最低1回は会場の笑いを取るように心がける。関西と関東でウケを狙うタイミングを変えたり、アドリブでジョークを交えたりもする。変幻自在なプレゼン力はいまも健在だ。
首相や閣僚との懇談や、政府関連の会議など、機会あるごとにiPS細胞のような基礎研究を実用に結びつけるための支援を訴えてきた。
「1人では駅伝は戦えません」
山中のわかりやすいたとえ話が多くの人の心をつかみ、再生医学を中心とする基礎研究への支援の輪がようやく広がりつつある。iPS細胞研究では、京都、東京、慶応の各大学と理化学研究所の4拠点を中心に、研究体制の整備が動き始めた。
だが、欧米の追い上げはすさまじい。山中は自戒を込めて、「今の日本のiPS研究は1勝10敗です」と劣勢を認める。「さまざまな支援をいただきながら、これではふがいない」
自らは京都大学iPS細胞研究センター長に就任し、不慣れな管理業務が増えている。研究に使える時間はますます減っているが、学生が取りまとめたデータにもすべて目を通す。ささいなミスが、科学者の命取りになることは珍しくない。
「周囲の熱気も少し落ち着いてきました。これからが研究者としての本当の勝負です」
(科学グループ・竹石涼子)

「これに一つずつ順位をつけるのですか? うーん、難しいですね」。自己分析のための10項目を見つめ、山中は何度も首をひねった。
「強いていえば、運はあるでしょうね。優秀な若手研究者に恵まれていますから。体力もまずまずでしょうか。でも、協調性はないです。集中力もありませんねえ」
各項目に「ある」「ない」「どちらともいえない」と答えてくれたが、順位づけは最後までできずじまい。嫌がっているわけでも、くだらないとバカにしているわけでもない。いくら考えても、自分の特徴には順位をつけられない——。誠実な人である。
「この10項目にはありませんが、自信があるのは……」。そう言って挙げたのが「プレゼン力」だ。
科学雑誌の募集欄で見つけたサンフランシスコの留学先で、プレゼンの秘訣を学ぶ不思議なゼミに出合った。
仲間の前でプレゼンの演習をする。自分ではまずまずの出来だと思った時も、身ぶり手ぶりまで批評された。米国の研究者は、自分の発表をどうやって聴衆にアピールするのか、若いころから体で覚えるのだと知った。
「発表は中身が勝負だ」と言っているだけでは、世界との競争には勝てない。それが山中の持論だ。