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[第199回]読み継がれる必読の名文@北京

泉京鹿 翻訳家


今回、改めて原書で読み、心が震えた。


前述のように、老舎はロンドン、山東省滞在などで、中華民国時代には北平と呼ばれていた北京を離れて久しかったが、本来は生粋の北京人。それゆえに、ちゃきちゃきの江戸弁ならぬいわゆる「北京訛り」満載で、人々の声や雑踏の音が聞こえてくるような、埃っぽい空気のにおいが鼻をくすぐるような、テンポの良いいきいきとした文章にぐいぐいと引き込まれる。「これぞ、北京!」という、標準語とは違う独特の北京語の中には、長年暮らしていても耳にしたことのない、あるいは耳にしたところで聞き取れなかったであろう語彙も多い。20年以上前に北京で買った『北京土語辞典』『北京話儿化詞典』を久しぶりに引っ張り出し、楽しんだ。昨年には日本でも『老舎北京語辞典』が刊行されている。老舎作品を原書で読むには頼もしい辞典である。


『駱駝祥子』はこれまでに繰り返し、ドラマ、映画、舞台化されてきた。近年では、人民大会堂隣の国家大劇院でオペラも上演。昨年は老舎逝去から50周年ということもあり、関連書の刊行も相次ぎ、メディアもこぞって特集を組んだ。だが、読み継がれる最大の理由は、全国の高校入試や期末試験などの国語の試験問題の定番であるということだろう。


「祥子はなぜ<駱駝>というあだ名で呼ばれているのでしょうか?」「祥子は最初と後ではどのようにかわりましたか?またその原因は?」「あらすじを〇〇字以内で書きなさい」……。要するに中学生必読の、読んでいることが大前提の名文なのである。


北平で人力車を引いている祥子は、真面目に働いてコツコツと金をため、念願の自分の車を手にする。しかし、間もなく郊外に退却する兵隊に捕り、命からがら逃げだしたものの、車を失う。それでも懸命に働くが、再び事件に巻き込まれ、貯めていた金を全て失う。人力車貸しの親方の娘で、年増でがさつな虎妞の色仕掛けにハマった祥子は、虎妞と結婚して自分の車を持つが……。繰り返し不運に見舞われ、理想を抱いていた生真面目な祥子はいつしかその日暮らしの生きる屍に。いつの時代にも通じる、庶民が生きることの難しさ、人間の強さと弱さがせつなく、愛おしい。……こんなあらすじでは、試験で点数はもらえないかな。



Izumi Kyoka

翻訳家。1971年生まれ。94年から16年間北京在住。新刊訳書に閻連科『炸裂志』(河出書房新社)、王躍文『紫禁城の月』(メディア総合研究所)。大学非常勤講師。



(次ページへ続く)
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