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世界の書店から

[第194回]元大統領の思わぬ素顔@パリ

浅野素女 ライター



現実はやはりフィクションより数倍も千倍も奇しきものだという思いを深くする。左翼の雄としてのミッテランと、カトリックの価値観を体現する地方のブルジョワ家庭出身のアンヌは、フランスの相反するふたつの側面を代表しているかのようだ。しかし、ミッテランは、地方に深く根ざすフランス的なるものを尊ぶ、ある意味で「保守的」な人物でもあった。ふたりは共通の根っこを分かち合っていたのであり、ふたりの描いた軌跡は、右と左、地方とパリ、伝統と革新への希求が反発と融合を繰り返しながら彫り刻んでいった、みごとな彫刻作品のようだ。

 

「君はいつだって、よりたくさんのものをぼくに与えてくれた。君はぼくの人生にとって幸運の女神。君をよりいっそう愛さずにいられようか?」


死の床にあったミッテランの最後の手紙はこう締めくくられている。読者は、国家の頂点にまで上り詰めたミッテランというひとりの男にとって、政治はその人生のごく一部にすぎなかったのではないか、という思いにさえ捉われる。


今、手書きで恋文を書く人がどれだけいるだろう。この書簡集は、急速に遠ざかりつつある手書き時代を締めくくる、記念碑的な恋愛書簡集であるとも言える。


『アンヌへの手紙』に匹敵する文学性を備えた作品をベストセラー・リストに探すなら、シルヴァン・テソンの『Sur les chemins noirs(黒い道の途上で)』だろう。どちらも老舗ガリマール社から。


テソンは、ノートルダム寺院やモンサンミシェル寺院の高い塔の上に登ったり、ヒマラヤ山脈を徒歩で、中央アジアを馬で横断したり、シベリアの厳しい自然の中でひとり暮らしたりと、次々と刺激的かつ独創的な冒険に挑むノンフィクション作家として、すでにその地位を固めていた。ところが2014年、落下事故で一命を取り留め、その後、長いリハビリの日々と格闘する。「もし再起できるなら、フランスを端から端まで歩きたい」という思いを胸に秘めて。


冒険とは、なにも人をあっと驚かせる奇抜なことをすることではない。名もない小径にも、ありきたりの小川にも、見つめる者の視線しだいで、胸打つ発見はいくらでもある。今年45歳になる放浪作家は、フランスという故国縦断のひそやかな冒険の旅を、芳香を放つ熟成した果実の贈り物のようにして私たちのもとに届けてくれた。



Asano Motome

1960年生まれ。パリ郊外在住のライター。フランスに暮らして30年余り。著書に『パリ二十区の素顔』ほか。最新刊に『生きることの先に何かがある』(さくら舎)。




(次ページへ続く)

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