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[第194回]元大統領の思わぬ素顔@パリ

浅野素女 ライター



photo: Semba Satoru

2期14年間にわたって大統領の座にあったフランソワ・ミッテランには、第2の家庭があった。『Lettres à Anne 1962−1995(アンヌへの手紙)』は、愛人アンヌ・パンジョに宛てたミッテランの書簡集である。ガリマール社から 、『アンヌへの日記1964−1970』と同時に出版され、話題を呼んだ。


1962年、彼はすでに大臣職を経験した46歳、地方の保守的ブルジョワ家庭出身の彼女は、人生のとば口に立つ19歳。それから死の直前までの33年間、公務の席から、旅先から、ミッテランは「アンヌ」に手紙を書き送り続けた。青いインクが匂い立つ手紙の数は1200通を越える。時には詩も添えられている。道ならぬ恋が、彼の生きるエネルギーになっていたことはまちがいがない。日記の方はデッサンやコラージュに彩られ、元大統領の思わぬ素顔に胸を突かれる。


ふたりの関係はいわば「公然の秘密」であり、任期中は74年にふたりの間に生まれた娘とともに、3人で政府要人用の館で暮らしていた。知らなかったのは国民だけ。王政時代の残り香を引く、あまりにフランス的な恋愛の形であった。


とはいえ、ふたりの「物語」は、熟年男にかどわかされた若い娘、というお手軽な構図をはみ出す複雑さと魅力を備えている。アンヌは自由と自立を希求し、優秀なオルセー美術館学芸員として活躍した。信条とは矛盾する日陰の身ながら、確実に自分の手で人生を切り開いた女性だ。ミッテランの死後も、極力メディアを避けてきた。


そんな彼女が、なぜ出版を決意したのか? 自ら資料を整理し、手紙の状況補足のコメントまでしている。人生の終着点が近づき、19世紀彫刻の専門家である彼女の「歴史家」としての側面がそうさせたのか。自ら物語を完結させたいという欲求に突き動かされたのか。


それにしても、ミッテランはまちがいなく文学者だった。文学性高く、ウィットに富んだ筆致。彼ほどの文章力で愛を語れる人が、ましてや政治家の中に、どれだけいるだろう。




(次ページへ続く)
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