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[第193回]綱紀粛正が強まるいま@北京

泉 京鹿 翻訳家



では、天安門事件。中国では「1989年政治風波」と呼ばれるこの事件は本書では「いくつかの大都市、とりわけ北京で、極めて少数の者が党と政治活動における過ちと人民の物価上昇に対する焦慮、および一部の党員幹部に存在する腐敗現象に対する不満の気持ちを利用し、共産党の指導者に対する反対、社会主義制度に対する反対の活動を扇動した」ことから、「6月4日に断固たる措置を取り、一挙に北京の反革命暴乱を鎮めた」とあるが、死者や負傷者に関する記述はない。ページが割かれているのは事件後、必要に迫られた党指導部の改革、諸外国の制裁措置を乗り越えて発展してゆくまでの思考の道筋の説明である。


「現時点において国内で公開されている最長期間にまたがる全面的な党史の基本」であり、「習近平同志自らが指示した任務」だそうなので、間違いなくこれが現在の公式見解である。一つの事柄に対する印象は人それぞれ、立場によってまったく異なる。しかし、それぞれにとっては現実であり、真実にほかならない。実際、何をもって真実というのか難しい。『炸裂志』の訳者あとがきで引用した閻連科の言葉を思い出す。


「あらゆる文書は信頼できず、真実は時間に埋もれてしまう。これがわたしの中国の歴史対する考え方である。あらゆる歴史はみな信頼できず、あらゆる歴史が政治と関わるものである。だから、このような『地方志』を書いたが、果たしてわたしが書いた『志』が真実なのか、それとも炸裂が本当に発展したのが真実なのか。読者は歴史と現実を阻むものに気付くはずだ。わたしが言いたいのは、歴史もまた規定されたものであり、後世の人に残される歴史は往々にして規定された歴史であるということだ」


同様の書には過去に『中国共産党七十年』があるが、次はいつになるのだろうか。そもそも今の形のままで中国共産党は存在しているのか。歴史書ではなく政治書であり、ある一つの真実でもある本書は、翻訳したいとは決して思わないし、かさ張るので邪魔な気もするが、いくつもの真実と読み比べるためにも、手元に置いておこうと思う。



Izumi Kyoka

翻訳家。1971年生まれ。94年から16年間北京在住。新刊訳書に閻連科『炸裂志』(河出書房新社)、王躍文『紫禁城の月』(メディア総合研究所)。大学非常勤講師。




(次ページへ続く)

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