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半島の北から南まで世界遺産に溢れるイタリアの中でも、水の都ベネチアの美しさは格別だ。観光客が消えた夜のサンマルコ広場をそぞろに歩けば、バイオリンの調べが流れてくる。他の場所なら月並みに思える「四季」の旋律も、夢のような時の演出には欠かせない。今回は、イタリア・バロック音楽の巨匠アントニオ・ビバルディ(1678~1741年)にまつわる2作を取り上げてみた。

『スターバト・マーテル』は「(悲しみの)御母は佇みたもう」の意味で、ビバルディも曲を付けた中世以来の聖母賛歌だ。ベネチア出身の作家・劇作家・詩人のティツィアーノ・スカルパは、本著でイタリア文学界の最高賞である09年度ストレーガ賞を取った。
舞台はビバルディが活躍した18世紀のベネチア。主人公は音楽・音楽家の守護神と同じチェチリアの名を持つ16歳の少女で、生まれて間もなくピエタ慈善院の回転式受付口(現代風に言えば「赤ちゃんポスト」か)に預けられた。慈善院には付属の音楽院があり、バイオリンを教えられたチェチリアは昼はピエタ教会聖歌隊席の飾り格子の陰で演奏する。夜は寝付けずに密かに階段の上に逃れ、顔も名も知らぬ生母に「母上様」と手紙を綴り続ける。

音楽院にある日、若い音楽教師がやってくる。その名はアントニオ・ビバルディ。彼の下でチェチリアは斬新なバイオリンの演奏の技を磨き、同時に「女」としての自己表現に目覚め自由を希求するようになる。卓抜した演奏家としての彼女に羨望と嫉妬を抱くアントニオは、彼の下で演奏家の道を続けることを迫る。「囚われの身」の代償は、と切り返す彼女に、「音楽」と「名声」と答えるアントニオ。しかし、彼女は「私の幸福を私の名の幸福と取り違えることはできない」と、自立への強い決意を示す。
話が少し逸れるが、小説の中でチェチリアが学び育ったピエタ慈善院は実在した。14世紀前半に修道士が始めた孤児の救済活動が起源で、1346年にベネチア共和国が政令で慈善院を創立。公的な財政援助と富裕な市民らの寄付によって維持されてきた。男子に石工や製靴などの職人的技術を習得させ、女子には裁縫や料理などの仕事が教えられた。
才能があると思われる女子たちには著名な音楽家の指導の下で歌唱や器楽演奏を習わせたのも史実だ。その並はずれた演奏を聴きに、王侯貴族を含む大勢の人々が欧州各地から訪れた。彼女たちに名字はなく、「バイオリンのアンナ」という風に呼ばれていたという。食事などで厚遇され、富裕層の子弟の音楽教師としてわずかながら収入も得ることができた。一方、院外での音楽活動は禁止され、婚姻などで外に出ることは演奏放棄を意味した。大半の女性は一生を院内で過ごしたようだ。
施設は現在も、ベネチア県立サンタ・マリア・デッラ・ピエタ児童介護施設として機能している。付属施設をアントニオ・ビバルディ小博物館として、「合奏・合唱団の娘たち」の譜面や楽器などが展示されている。子どもの救済施設が延々と守られてきたことも驚きだが、その子らに一流の音楽教育を授け、バロック音楽発展の重要な基礎を形成したという歴史的事実も忘れてはならない。
1963年生まれの著者スカルパは、市立産科小児科病院だったこの建物内の、ビバルディが少女らに音楽を教えたであろう部屋で産声を上げた。幼年時代に初めてもらったのが「四季」の33回転のレコードで、いまでは200枚を超すビバルディのCDの収集家でもある。「余分な言葉を省くことをビバルディから学び、物語を深めるため18世紀のベネチアからゴンドラや手垢のついた情景描写などの肉を削いだ」という。
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