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著者の窓辺

[第14回]

17年間、黙って歩いたら
人間の生き方が見えてきた

『プラネットウォーカー』 Planetwalker

ジョン・フランシス John Francis 環境活動家

71年、米国のサンフランシスコ湾で見た原油の流出事故が人生を変えた。車に乗るのをやめ、どこへでも歩く。口をきくのもやめた。アメリカ大陸を西から東へ。人が自然の中で生きるとは、どういうことなのか。黙って歩きながら問い続けた、17年間の旅の記録だ。

 

――歩こうと決めたのはなぜですか。

フランシス 近所の湾が油で真っ黒になったのは衝撃でした。人が集まり、野鳥を救い、海辺を清掃しました。私は自分が出来ることを考え、車に乗るのをやめようと思ったのです。石油を使う車や飛行機には乗らない。最初は少しの間やってみようと軽く考えただけでした。

ジョン・フランシス氏

始めてみると、移動手段がほとんど車の米国で車なしの生活をするのは、とんでもないことでした。友人に会うのに数時間、映画を見に行くのに丸1日。友人は呆れ、仕事もクビになりました。

それまで私はバンドのマネジャーをしていました。スポーツカーを飛ばすのが好きで、いい家と車を持ち、金を稼ぐことが、アメリカンドリームだと思っていた。

でも、原油事故の数カ月後、金も家も車もあった親しい友人を事故で失い、人生のはかなさに気付いたのです。本当はどんな生活をしたいのか。どんな自分でありたいのか。
考えるために、歩き続けてみようと思ったのです。

足が痛くなったり、雨にぬれたり、何度もやめようと思いました。でも、歩いて見える風景、風、時間の流れの心地よさを知り、歩くことに高い精神性を感じるようになっていきました。知らない道を行く恐れや胸の高まりも好きでした。

口をきかなくなって自分を偽ることがなくなった

――なぜしゃべるのもやめたのですか。

フランシス 道を歩いているとよく「車に乗らないか」と声をかけられました。
車には乗らないと言うと「1人でそんなことしてどうなる」と議論になる。
私も言い返し、しまいには怒り出す人までいました。それで、もうしゃべるのもやめようと思ったのです。それからは、ジェスチャーと筆談だけがコミュニケーション手段になりました。しゃべらないままラジオ番組にも出ました。手を叩いてモノを壊すしぐさにすばやく手を振ると「Break(壊す)―fast(速い)」で「朝食」。言葉がなくても伝えられることは非常に多い。
人の話によく耳を傾け、物事をじっくり考えるようにもなった。知ったふりや、自分を偽ることもなくなりました。

 

――家族の反応はどうだったのですか。

フランシス 東海岸に暮らしていた両親は、車を捨てたことだけでも衝撃だったようです。
会うのにもどれくらいかかるか分からないわけですから。口をきかないことを受け入れるのはもっと大変だったようです。
でも、私の生き方として理解してくれるようになりました。あるとき母と一緒にエレベーターに乗ったら、「本気で歩くことを貫くならエレベーターにも乗っちゃだめよ」とささやかれました。これには参りましたね。

(次ページへ続く)

ジョン・フランシス

1946年、米フィラデルフィア生まれ。
71年、原油流出事故を見て、翌年から車に乗らないことを決める。82年NPO「プラネットウォーク」を設立。 83年、西海岸から東に向けて歩き始め、90年東海岸に到着。その後、手作りの帆船でカリブ海を渡り、南米から南極まで歩く。本書は当初、自費出版されたものが口コミで広がって約5000部が売れて、正式に出版された。現在、米国で映画化が進められている。

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