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ロシアの新型コロナ感染拡大で深まる謎 どこで日本との差が生じたのか?

迷宮ロシアをさまよう 更新日: 公開日:
新型コロナウイルスの感染が急激に広がり、病院の前には救急車の列ができた=ロシア・サンクトペテルブルク、2020年4月27日、ロイター

ロシアの状況は一変

この連載で、新型コロナウイルスの問題を初めて取り上げたのは、3月17日の「コロナ禍の世界でしたたかに立ち回るプーチン・ロシア」でした。当時筆者が論じていたのは、プーチン政権による大胆な措置でロシアは感染拡大を上手く抑え込んでおり、むしろそれを奇貨としてたくましく国益を増進している、といったことでした。

今から振り返ってみると、当時の私の見通しは甘く、恥じ入るばかりです。何しろ、3月中旬頃には、ロシアの感染確認数はまだ100人前後であり、死亡者も一人も出ていなかったので、つい楽観視してしまった次第でした。

今や、状況は一変しました。ロシアの感染者数は拡大を続け、5月に入ってからは毎日1万人ペースで新たな感染者が確認されています。ロシアの累計感染者数は20万人を超え、世界のトップ5に食い込んでしまいました。ちなみに、日本では岩手県がいまだに感染確認ゼロの都道府県として頑張っているのに対し、ロシアでは80を超える全地域で感染者が確認されています。4月30日には、コロナ対策を取り仕切っていたミシュスチン首相が、新型コロナウイルス検査で陽性になったと判明。あれほど自信たっぷりだったプーチン大統領も、今では「自分が感染しないこと」を最優先して行動しているように見えます。

今般のパンデミックは、これから様々な角度から研究・解明されていくはずですが、その際に日露両国のケースを比較分析することも有意義ではないかと、個人的には考えています。今回のコラムでは、そうした注目点のいくつかを指摘してみたいと思います。

大胆な対策にもかかわらず

ごく単純なことですが、日本の人口は1億2,650万人、ロシアの人口は1億4,450万人ということで、人口の規模感がだいたい同じくらいです。そして、首都一極に人口や経済力が集中する構造も似通っています。

新型コロナウイルスに関して言えば、日本もロシアも、中国の武漢発の第1波は、最小限の被害で乗り切りました。しかし、日本には3月頃にヨーロッパやアメリカからの帰国者が持ち帰ったウイルスが流入し(しかもそのウイルスは感染力や毒性がより高まっていたという可能性も指摘されている)、この第2波がその後の感染増をもたらしました。そして、第2波にさらされたのはロシアも同じであり、ロシアの場合は主に、3月7~9日の三連休を利用してイタリアやフランスなどに旅行に出かけた人々が帰国し、自国にウイルスをもたらしてしまったと考えられています。

このように、3月頃の状況は概ね似たり寄ったりでした。にもかかわらず、日本とロシアの感染確認の数にはその後、大きな差がつきます。当初は日本の方が上回って推移していたのですが、3月31日に初めてロシアが日本を抜き、4月に入るとみるみる差がついていきました。5月10日の時点で、日本の累計感染者数は15,747人。それに対し、5月に入り連日1万人超えのロシアは、10日の時点で209,688人にまで膨らんでしまいました。この1ヵ月あまりで10倍以上の差がついたわけです。なぜロシアでは急に感染が爆発したのかというのが、最大の謎です。

しかも、ロシアの感染拡大防止策が、日本のそれよりもはるかに徹底したものだったことを考えると、なおさら奇妙です。これについては、当連載の「日本には真似できないロシアの『1ヵ月休業』 プーチンはコロナとかく戦えり」で報告したとおりであり、プーチン政権は3月25日、新型コロナ感染拡大を食い止めるため、3月28日から4月5日までを休日に指定し、その後この特別休業を4月30日まで延長しています。その他の外出制限や移動制限を見ても、ロシアの措置は日本よりもずっと厳しいものとなっています。ところが、下のグラフに見るように、現実にはその特別休業の施行を合図とするかのように、感染は拡大に向かっていったのです。

ちなみに、日本とロシアには、「コロナウイルス対策をゆがめかねない重要な日程があった」という共通点があります。日本の場合には、中国の習近平国家主席の訪日と、東京オリンピック・パラリンピック。ロシアの場合には、改憲国民投票と、対独戦勝75周年式典でした。結果的に、これらはすべて延期となりました。ただ、ロシアに関して言えば、政治日程がコロナ対策をゆがめるということは特になく、プーチン政権は必要な対策は迅速かつ果断に実行したと思います。

さて、感染急拡大の一方で、ロシアにはCOVID-19による死亡者が欧米と比べてかなり少ないという特徴もあります。もちろんこれから悪化する恐れもあり、油断できませんが、5月10日現在の死亡者数は1,915人となっています。ジョンホプキンス大学の最新データによると、人口10万人あたりのロシアの死亡者数は1.3人であり、日本の0.5人よりは多いものの、ベルギーの75.1人、スペインの56.7人、イタリアの50.3人、イギリスの47.6人、アメリカの24.1人などよりは、ずっと軽微です。感染はオーバーシュートと言うべき状況なのに、なぜ死亡者はそれほど増えないのか。これが、ロシア第2の謎です。

もちろん、数字だけを単純比較はできない面もあります。日本ではPCR検査数が抑制されてきたのに対し、ロシアは積極的に検査を実施してきたので、それにより感染確認数に生じた差は小さくないでしょう。その表れとして、ロシアでは、感染確認者に占める高齢者(65歳以上)の比率が15%にすぎず、無症状者の比率が45%以上に上り、肺炎の重症患者は5%にすぎない、といった特徴が生じています。ちなみに、グラフに見るとおり、ここに来て感染確認の増加率は低下しており、ピークアウトしつつあるのではないかという見方も広がっています。

他方、ロシアのCOVID-19死亡者が少ないことに関しては、疑問の声もあります。当局発表の死亡者数が翌日に下方修正されたりする不可解な現象があり、また直接の死因がコロナでなければCOVID-19死亡者としてカウントされないという問題も指摘されています。

何が日本とロシアを分けたのか?

とはいえ、日本では爆発的な感染拡大は今のところ回避しているのに対し、ロシアではそれが生じてしまったという大まかな構図は、まず間違いないところだと思います。科学的なことは専門家に検証をお願いするとして、ここではあくまでも地域研究者としての筆者が思い当たるポイントを述べておきたいと思います。

まず、日本とロシアでは、国家・社会の構造や関係性が大きく異なります。日本では、政治権力が強権を発動したりはしませんが、大多数の国民が公共心を発揮して、感染拡大防止に自発的に協力します。それに対し、ロシアでは国家権力が強制力のある方針を決めても、企業や市民は必ずしも真剣に受け止めておらず、ウイルスなどどこ吹く風といった行動を続ける人もいます。筆者は日本のような過度に同調圧力に訴える方式を称賛しようとは思わないものの、笛吹けども踊らずのロシア型よりは、感染防止に効果的なのかもしれません。

次に、日本とロシアでは、やはり衛生観念がだいぶ異なります。ロシア人も、自分の私的空間は綺麗に保つのですが、公衆トイレの汚さに象徴されるように、公共空間が不衛生である場合が多いですね。ロシア人の感覚から言えば、公共空間は行政によって雇われた清掃員が掃除すべき場所であり、一般市民が公共空間の美化のために自発的に協力すべきという発想はほとんどないでしょう。この要因は、感染症防止のために、馬鹿にならないと思います。

それとも関連して、マスク装着の習慣が、やはり日露では全然違いますね。欧米はだいたいそうだとは思いますが、従来ロシアにはマスクをつけるという習慣がほとんどなく、新型コロナウイルス流行後に増えはしたものの、全面的に普及したとは言いがたい状況です。なお、モスクワでは4月12日以降、公共交通機関利用時や、スーパーでの買い物の際に、マスクと手袋の着用が義務付けられています。ここでも、国が「強制」しないと動かないというロシアの特質が表れています。

さて、ロシアにおける感染拡大のより直接的な要因を挙げれば、病院をはじめとする公共機関での集団感染の多発を指摘しなければなりません。ロシアでの感染源の3分の2近くは病院であるという指摘もあります。深刻なことに、医療従事者の感染が増えており、すでに100名以上が命を落としたという情報もあります。病院の他にも、軍隊、福祉施設、教会などでのクラスター発生が報告されています。

そもそもの問題として、ロシアの医療体制は脆弱なものです。日本でお医者さんと言えばエリートで高収入というイメージが強いですが、ロシアでは社会主義時代から医者は薄給の代表のような職種でした(ちなみに女性の比率が高い)。現在も公立病院の待遇は恵まれず、他の職種に転職したりする事例もあり、慢性的な医師不足が生じているとされます。

テレビのニュースなどで紹介されるのは、設備の整ったモスクワの病院でしょう。しかし、ロシアでは新規感染の中心は地方に移りつつあります(ちなみに累積ではモスクワ市・州が62%、地方が38%という比率となっている)。インフラ・物資・人材の不足した地方では医療崩壊が生じつつあり、現場からは悲鳴が上がっています。しかし、地方の知事たちはクレムリンに不手際をとがめられたくないからなのか、そういう現場の声を黙殺しているとされます。プーチン政権は、問題は認識しており、地方の医療へのテコ入れを始めたところですが、元々の基盤が弱いところに、クレムリンの主導で急に物資や資金を分配しても、そう簡単に事態が好転するわけではありません。

もちろん、もしかしたら、日露の感染拡大の差を生んだのは、政治・社会的要因ではなく、単純に自然条件の違いなのかもしれません。アメリカの政府系研究機関からは、「コロナウイルスは日光・高温・多湿で威力が弱まる」との情報も寄せられています。ロシアでは4月頃まで、日本の感覚で言えば冬のような天候が続きますので、より新型肺炎に罹患しやすい環境だった可能性もあるでしょう。

ところで、日本で新型コロナウイルスによる死亡者が比較的少ないことに関し、「結核予防のためのBCGワクチンの接種が効いているのではないか」という説が、一部で根強く唱えられています。BCGワクチンにもいくつかの種類があり、日本株と旧ソ連株は性質が似通っていることが知られています(旧ソ連株はかつてのソ連や東欧諸国で使用された)。そして、上述のように、公式発表の死亡者数には疑問もあるものの、現時点ではロシアもCOVID-19の死亡率は低い値を示しています。これは単なる偶然なのか? ぜひ専門家に解明していただきたい点であり、日露の専門家による共同研究も有望ではないかと考える次第です。

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