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[第13回]地下鉄でうたた寝


シェルビーの熱意は見習うべきものがあり、電車内で寝るときは、できたらお互いのことを心配せずに眠りたい。私たちは狭い車内の空間を生き抜くべく、比喩的な空間を創りあげて補う。音楽を聴いたり、キャンディークラッシュ(スマホゲーム)をしたり、珍奇な広告をとりあえず笑ったり。そうやってつながりを断っている。 車内に居合わせる他人に無関心でいることは、彼らに信頼を誓っているからこそだ。じろじろ見ないのはその必要がないからだし、必要がないのは互いに無害と認識しているから。目を閉じられるなんて、乗客に恋人や家族、友人的なものを感じている表れではないだろうか……。赤の他人と寝息を交わすことの倒錯、かつ喜ばしさたるや! 友人には「怖くないのか」と聞かれるのだが、怖くはないのだ。地上では、目を開いているのにわけもなく不安になることがよくある。地下鉄でのうたた寝が、あの手この手で別の環境への切符をくれる。 プルーストは『失われた時を求めて』の中で、暗闇で目覚めたときの所在なさを「自分が一体どこの誰なのかわからなかった」と記したが、そんな問題は地下鉄で眠る私たちとは無縁だ。照明の眩しさに目を開いたその瞬間、そこには見慣れた光景が心地よく広がる。つやつやした青いベンチ、豊胸や胸の縮小手術の広告、それと何より人々がいる。 向かいの男性は音楽を聴き、隣の女性は虚空を見つめている。ここはどこ、私は誰などと問うまでもなく、あなたは人々に交じって生きる都会人。寝息を立てている通勤客も体は動かしていないのに、実は移動している。そしてまた、自分の世界にこもりつつ、群衆の一員となっている。


(アビゲイル・ドイチェ、抄訳 菴原みなと)

©2017 The New York Times



Abigail Deutsch 

ニューヨーク在住ライター、編集者。批評や詩作など活動は多岐に渡る。


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