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[第10回]姉が「ふるさと」と呼んだ難民キャンプの、いま




去年の春、姉のマーヤンが11年ぶりに僕たち家族に会いに来てくれた。僕たちは25年前にソマリアの紛争から逃れてきて以来、ダダーブ(ケニア)の難民キャンプに住む。僕は21年前にここで生まれた。姉は、僕が9歳だった2005年、アメリカに受け入れ先を見つけ、夫と息子とともに移住していった。僕たちも移住の対象だったけれど、理由もわからないままに保留にされている。もうすぐ行くからといいながら10年間離れ離れ。とうとう姉のほうから会いに来てくれたのだった。


ネット上では連絡を取り合っていた。姉の文面にはよく、彼女もかつて暮らした地区「A4」への郷愁がにじんでいた。ノートでもコピー用紙でも、A4と見ればここでの生活を思い出していたという。マーヤンにとっては今でもA4地区がわが家なのだろう。僕はまだ幼かったから、彼女はいつも謎めいた存在だった。ほどけたビーズのように散らばった思い出を、僕は拾い集めようとした。


母によるとマーヤンは幼い頃、けんかっぱやく、軍人なるあだ名がつくほどだった。6年生のとき、教師に言い寄られてプライドを傷つけられた姉は学校をやめ、その後はジャガイモを売ったりしながら僕たち3人のきょうだいを支えてくれた。紛争も困窮した暮らしも切り抜けたマーヤンは、僕にとって再起の象徴だ。


再会してからは、姉のことをできる限り知ろうと努めた。着ている洋服から好きな色を、音楽プレーヤーのリストから音楽の趣味を。両親との会話に聞き耳も立てた。一緒にA4地区に行ってほしいと言われ、喜んでついて行くことにした。



(次ページへ続く)

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