RSS

NYT Magazineから

[第3回]耳をすませば




もう何十年も前ですが、イラン・イラク戦争で毒ガス攻撃を受けた私は、全身にやけどを負い、数カ月間は目も見えなくなりました(以来、目の手術を50回以上受けています)。肺もダメージを受け、半分以下しか機能していませんし、精神的にも不安定になりました。いつもイライラしていて、心と体の傷を癒やすため大量の薬が欠かせなかったものです。


精神科に通っても、いま一つ効果がありませんでした。そんな私を見かねた友人の医者が、音楽療法を勧めてきました。正直、戸惑いました。当時のイランは音楽への規制が厳しかったし、特に我々兵士はイスラム革命の防衛隊であり、音楽なんて不謹慎だとされていましたから。でも私は違法を承知で、結婚式にバンドを呼んだぐらい音楽が大好きでした。


父が経営する食料品店の近くに、マレク巨匠という偉大な音楽家がいました。彼は教室で教えるだけでなく、ピアノの原型という伝統楽器「サントゥール」もつくっていました。酪農場も経営していて、父の食料品店で売る牛乳はそこから仕入れていました。


ある日、仕入れに行くと巨匠はこんなことを言いました。「うちの牛乳はどうしてこの街で一番おいしいと思う? 牛が毎日音楽を聴いているからだよ。よく食べ、乳もよく出るようになる。長生きもするのさ!」。やはり医者が言うように、音楽には力があるのかもしれない。そう思い、教室に申し込みました。


教室の生徒は若い人ばかり。肺を痛めたせいでしょっちゅう咳が出るのが申し訳なく、結局、教室には1度しか行きませんでした。でも、サントゥールに恋に落ちるのには十分でした。


巨匠の牛乳


楽器を買うお金がなかったので、金の結婚指輪を売ることにしました。妊娠してサイズが合わなくなった妻も、快く提供してくれました。2個で計1万5000トマン。楽器代には十分でした。


ちょうど教室が始まる時間帯を狙い、巨匠の酪農場に行くようにしました。教室の窓に張りつき、ただただ、漏れてくる音を聞くんです。私が外にいるなんて、巨匠は知るよしもありません。


家に帰ると、音を再現してみました。でも、出るのは不快な音ばかり。気の毒な妻! それでも毎日、自宅で音をまねていました。爆撃の影響でほとんど目が見えないこともあり、生徒がどうやって弾いているのかはわかりません。弦の位置を学ぶのに半年間かかりました。


ある日、私がサントゥールを学んでいることを聞きつけたマレク巨匠が、ぜひ聴きたいと言いだしました。恥さらしもいいところです。でも結局押し切られ、自宅に招きました。演奏を終え、彼の第一声をびくびくしながら待ちました。




(次ページへ続く)

この記事をすすめる 編集部へのご意見ご感想

  
ソーシャルブックマーク
このエントリーをはてなブックマークに追加

Popular article | 人気記事

さらに記事を見る
Facabookでのコメント

朝日新聞ご購読のお申し込みはこちら

Information | 履歴・総合ガイド・購読のお申込み

Editor's Note | 編集長から

PC版表示 | スマホ版表示